2013-11-07 第185回国会 衆議院 本会議 第8号
日露戦争時にロシアでの内部工作に成功した当時の明石元二郎大佐は、後に大将として遇されましたが、明石大将以降は、情報将校の出世は中将どまりで、大将は出ていません。このことが示しているように、日露戦争以後の我が国の情報軽視の風潮が、我が国の道を誤らせた大きな原因の一つと反省する必要があります。
日露戦争時にロシアでの内部工作に成功した当時の明石元二郎大佐は、後に大将として遇されましたが、明石大将以降は、情報将校の出世は中将どまりで、大将は出ていません。このことが示しているように、日露戦争以後の我が国の情報軽視の風潮が、我が国の道を誤らせた大きな原因の一つと反省する必要があります。
有名な例を挙げれば、当時は、明石元二郎大佐がヨーロッパまたはロシアに潜入して、ロシアの中を、ある面では戦っている相手の中から崩していく、こういう行動を起こしておりました。 こういった情報将校は、明石元二郎大佐が大将になりました。しかし、この後、情報畑の軍人で大将になった人は一人もいないんですよ。全部中将で終わったんです。
あと二人有名な方がおられまして、二番目は明石元二郎大佐という方でありまして、当時はスパイですね、日本のスパイとして活躍をされて、最後は陸軍大将にまでなっておられますけれども、日露戦争が必ず起きるだろうと、ロシアがどんどんどんどん南へ下りてきますので必ず日本が侵略されるということで日露戦争を予測して、ロシアの後方でいろいろ撹乱戦術を取って、レーニンなんかにも大量な国家予算をつぎ込んでいたという話がありますけれども
この問題が出てから、既にいろいろなところの新聞などでも出ていますけれども、かつて日露戦争の前に、明石元二郎大佐がおられ、そしてこの明石元二郎氏が機密費を使って、やがての日露戦争の我が国の勝利に結びつけていくべく努力をしていった。